ねとすたシリアスで宣伝されていた「思想地図 vol.1」(東浩紀、北田暁大 編)って言う本をamazonでポチったのが届いたので読み始めました。
・共同討議(シンポジウムの書き起こし?)の章
問題定義の部分は非常に興味深く読んだ。パネリストは同年代の人達なので、自分と同年代の人達にこういうことをクソ真面目に考えている人がいるんだ〜というのは嬉しい気もする。議論の過程とか議論の中身については、そうそう簡単に結論が出るようなテーマではないので、迷走しており、ぶっちゃけ、よくわからん。
・右翼再考
天皇がサブカルチャーのネタになっている旨の指摘がちょっとオモシロイと思ったけど、基本どうでもいい。パス。
・ニッポンのイマゴポリティックス
123ページ マンガのグローバリゼーション
言い換えれば、日本人が従来から続けてきた西洋人の視線を介した自己認証という図式が通用しない自体が、おそらく史上はじめて訪れたのだ。
ここはちょっと微妙。さらに続く。
124ページ マンガは「日本人のもの」か
日本のアニメやマンガの「起源」は、アメリカにある。戦前にはじまるディズニーの受容に端を発し、
ダウト。
ディスニーが決定的に重要な立ち位置にあることは間違いないと思うけれども、「ディズニーのルーツ」を探ることを放棄するのは無責任すぎる。
ウォルト・ディズニー・カンパニーの創立は1938年。これ以前の美術史がどういう状況だったかを大雑把にいうと、
アール・デコ 1910〜1930頃に流行
アール・ヌーヴォー 1890頃〜第一次世界大戦(1914)まで
印象派 1860頃〜第一次世界大戦(1914)まで
この中で比較的アニメーションと親和性が高いのは「アール・ヌーヴォー」です。印象派の画風でアニメーション作れったってそりゃ無理ですよね。アール・デコというのも造形が機械的すぎてアニメーションとは親和性が低い。一方、アール・ヌーヴォーの明確な輪郭線と平面的な構成、慎重に吟味された色彩、植物や昆虫がモチーフとしてよく用いられたこと、などを考え合わせると、アニメーションは明らかにアール・ヌーヴォーの影響を受けている、と見て取れます。アール・ヌーヴォーの技法をセル画に取り入れることで、初めて「アニメーション」というものが技術的に可能になったのです。
ではさらに、アール・ヌーボーのルーツがどこにあるかというと、・・・それ以前の印象派やその他膨大なヨーロッパの美術遺産の影響を色々受けている、ということにはなるのですが、そこに「ジャポニズム」というものが1枚かんでいる、という事実は、無視出来ない訳です。
wikipedia 「印象派」の説明から引用
1878年のパリ万博のときには既にジャポニスムは一大ムーブメントになっていた。日本画の自由な平面構成による空間表現や、浮世絵の鮮やかな色使いは当時の画家に強烈なインスピレーションを与えた。そして何よりも、絵画は写実的でなければならない、とする制約から画家たちを開放させる大きな後押しとなった。
・・・つまり、ディズニーのアニメーションのルーツには、アール・ヌーヴォーを経由して、ジャポニズムが何割かは含まれている、という事実に突き当たるのです。日本の版画がジャポニズムとしてヨーロッパに渡り、ヨーロッパの文化・伝統と融合して非常に高度なレベルに洗練され、さらにアメリカで洗練され、世界一周して日本に戻ってきたのがディズニーだった、と。だから、日本人は他のどんな国よりもディスニーのアニメーションを熱烈に歓迎して受け入れることができた。そりゃ当然だろう、という訳です。
さらに「思想地図vol.1 P124から引用。
戦前にはじまるディズニーの受容に端を発し、それがいわば「奇形的な」発展を遂げたものなのだ。
ダウトその2。 日本の漫画が「奇形的」と表現されることはしょうがないと思うけど、それが日本で独自の発展を遂げた結果なのかというと、それはどうなんだろう。
さっきの話の続きで美術史の話に戻ると、アール・ヌーヴォー、アール・デコ、ときて、その次に「バウハウス(1919-1933)」が来て、そこからいわゆる20世紀の「工業デザイン」という概念が、伝統的な芸術とは別個に確立されるに至ります。バウハウスではいろいろと実験的な試みが行われていて、結局、後世に残ったのは建築と家具などの分野での成果だった訳ですが、実験的な試みの中には服飾・衣装デザインというものもあったんです。で、その服飾を現在の視点で見直すとびっくりしますよ。いわゆるSF漫画の宇宙服みたいなイメージが、すでにバウハウスで試みられているんです。ドラえもんにも引けを取らない奇抜な衣装もあります。