ネタ元:
ニコニコ動画についてのデータのグラフ
http://seiga.nicovideo.jp/bbs/sg4054
http://seiga.nicovideo.jp/watch/sg4054
2月のUPなので、もうだいぶ古いネタなんですが、なんかすごく印象に残った。
この中で特に面白いなぁと思ったのがNo.15の「タグ別動画数分布」。
コメントにもあるとおり、綺麗なべき乗則になってる。
これは偶然なの?いやー、偶然にしては出来過ぎでしょう。じゃぁ、誰かが意図的にやったのか?タグ職人なんてたくさん居るし、組織的にやってる訳でもないぞ。
人間のやる事を集団として捕らえると、法則性がある事もある、ってことなんだろうなぁ。
こういうことを専門で研究している研究者とかも居るんだろうけど、でもさ、「ニコニコ動画のタグ別動画数分布がべき乗則になる」なんてことを理論的に予測するなんて、どう考えても不可能としか思えないわけ。おもしろいなぁ。
もっとも、いろんな統計データが纏められている中で、こんな綺麗なべき乗則になっているのは「タグ別動画数分布」だけなので、本当にたまたま、なのかもしれないけどね・・・。
ただまぁ、そこまで綺麗なべき乗則じゃなくても、再生数と動画数のグラフとか、当然ながら再生数の多い動画は少ないし、再生数の少ない動画は多い、という当たり前の事が改めてデータとして可視化されると、いろいろ気がつく事がある。
以前、経営の合理化のネタとして、こんな話を読んだことがある。「売り上げの低い大多数の顧客を大胆に切り捨てて、その分、売り上げの高い少数の優良顧客へのサービスに集中したほうが合理的」という話。べき乗則の話と絡めて考えるならば、この話は会社がベンチャーだったりとか、世の中の構造に何も影響を与えないような弱小企業が、世渡りをしていくためのノウハウとしては、確かに有効なんだろう。でも、この手は、市場を寡占・独占しているような大企業は使う事ができないということをべき乗則は教えてくれる。大企業がなぜ大企業たりえるかといえば、べき乗則の末端まで物やサービスを届ける事ができるからだ。 今の日本になぜ元気が無いかといえば、べき乗則の末端を切り捨てる事に熱心なエリート企業が増えてしまった事も原因の1つだと思っている。末端をきちんとフォローしているamazonやニコ動には元気がある。
私は当初から、人気Pだけを集めて並べるKarenTのやり方に反感を持っているんだが、J-POPもそうだけど、商売にならないべき乗則の末端を切り捨てることで、何が変質してしまうのか、って言う事にもっと敏感であってほしいんだ(願望)。
イチゴが乗ったショートケーキがあるとするじゃん。で、イチゴが好きだからっつって、ショートケーキの上に乗ってるイチゴだけ集めて皿に並べればより美味しくなるのかというと、それはだたのイチゴであって、ショートケーキじゃなくなっちゃう訳。
KarenTだけじゃないのよ。ニッチな市場を切り捨てて、賢く稼ごうとするあまり、逆に成長のチャンスを逃しているようにしか見えない話を目にする事が増えて、なんだかもう、うんざりなんだ。