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ぼくのなつやすみ1日目
「帰省できる田舎」というのは、どんどん崩壊しつつある。
このゲームにあるような、ほのぼのした田舎の夏休みの日常というのは、もはや持続可能ではない。
限界集落ではインフラの維持が困難になり、どんどん殺伐としたものに変質していってしまうだろう。
子供たちは夏休みに日記を付けるが、そういうものが歴史的な資料として収集されるという話はあまり聞いたことが無い。
そうすると、「1990年頃の田舎の夏休みって、子供たちはこんなふうにすごしていたんだ」っていう歴史的な資料として、こんなゲームが意味を持ち始めてしまうのかもしれない。
自分の子供の頃に見た夏休みの風景というのは、今はもうない。人々の記憶の中にしか無い。
その人々が老いて死んでいってしまえば、本当に無かったことになってしまうのだな。