とはいいつつ、考え事メモ。
数日前の日記で
事実<金銭的価値<本質的価値
ならば、経済がうまく回っていきそう、と書いたが。
事実以上の金銭的価値を生むこと、さらにそれ以上の本質的価値を生むこと、を労働者にノルマとして押し付けられることは、なかなか大変なのですよ。たいていは複数のメンバーでうまく負荷分散するのだけど、うっかり1人に全部がのしかかるような状況に陥ったら、数ヶ月は耐えられても、それ以上は本当にきつい。それこそ自分の力の無さに鬱になります。
そこで、ふと思ったんだが、
では、コミケは?コミケはどうなの?
俺のイメージでは・・・
事実(コミケにかける労力)>>金銭的価値<<??<<本質的価値
全然なりたってねーよ。つか、極端なデフレ状態?
コミケという場ではもう、値段というのは一種の「お約束」として機能しているだけで、労力に見合ったものでも本来の価値に見合ったものでもなくなっちゃってる。「だいたいみんなこれぐらいの値付けだから・・・」という雰囲気で値段が決まっている感じ。ある意味、本来のお金の機能を全然はたせてない。 なのにこんなに、のべ何十万人ものひとが集まって、ちゃんと取引が成り立つって、これも面白いよなぁ。
お金がお金として本来の機能をしていないがために、わざわざ何時間も行列作ってならばなくちゃならなかったりする。一方では山ほど在庫抱えて泣く泣く帰る人とか。市場原理からすれば人気に応じて値段を上げ下げすれば適当なところで需要と供給のバランスが取れて云々・・・なんて話、ナシ。なんという潔さww。経済学的にはなんとも不合理な事を繰り返している訳だが、その不合理さにまた一味違った価値が生まれちゃったりしてる訳なんだな。
世の中全部が合理性を追求しすぎた結果、気がついたら「非合理さ」に希少価値が出てきてたってか。面白いよなぁ。何やってるんだろ。