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ボーカロイドはなぜ批判されるか
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20110630/1309405686
【初音ミク】馬鹿が見るテレビ【オリジナル】 ‐ ニコニコ動画(原宿)
なんかは、僕からするとまさしく「自分の政治的主張を示したいという欲望を『ボーカロイド』のキャラクター性を悪用して押し付ける」作り手として大嫌いなわけです。
ボカロ批判の大半は、単にアタマが堅いのかと思っていたが、この指摘には納得せざるをえない。かなり長いエントリーなので、読み落としている部分もあると思うけど、要するにこの話って、ミリオタと武器の話として考えると、構図が似ていると思った。
ミリオタって居るじゃないですか。軍事関係の武器とか戦車とか戦闘機とかが好きな人達。これに対して、「武器は嫌い」という人も居る。この場合、嫌いな理由はとても解りやすい。武器が人を殺すことを目的として作られているからだ。しかしミリオタというのは必ずしも人殺しが好きな人達という訳ではない。(中にはそういう人も居るかもしれない。)純粋に造形としてのかっこ良さとか、アイデアが盛りだくさんに盛り込まれていることとか、に惹かれているという面もあるだろう。だから、ミリオタに対する批判と、実際のミリオタの間の議論というのは、なかなか話がかみあわない。
実際の世の中(日本)では武器の所有が禁止されていて、おもちゃと見なされるもののみ可。学校ではおもちゃでさえ不可。まぁこの事に対して異を唱える人は日本にはあまり居ない訳で、ミリオタも社会的な状況をわきまえて、それなりの落とし所に落ち着いていると思う。
では一方、VOCALOIDはどうか。
VOCALOIDは「音楽」というエンターテイメントの為のものだから、これをある種の「武器」であるかのように言われるのは心外なのだが、それでも、そのように見る人が居る、ということは認識しておいたほうが良さそうだ。 たしかに、それまで日陰の存在だったDTMerが、VOCALOIDという強力な「武器」を手にしたことで、注目されるようになったとも言えるのだ。
今の所、VOCALOIDで直接的に政治的なテーマを扱う人というのは少数派だけれども、「なにかを主張する」という行為がたくさん集まれば、それは政治的な物事に成長しうるのであって、そこに危険な匂いを感じ取る人もいるのだろう。
ただそこで、「VOCALOID」が批判の対象になるというのは、単に目に付くから叩きやすい、というだけの事なのではないか。VOCALOIDの存在全てを本気で否定するのなら、そのベースとなっているDTMはもちろん、コンピュータの存在や現代科学の成果までひっくるめて全部否定する、という事でないと筋が通らない訳だが、そういう話ではないようだから。
批判の対象がVOCALOIDではなく、それを使って行われる「主張の中身」なのだとすると、それって本質的にはもうVOCALOIDの話じゃないじゃん。少し前も、原発批判の替え歌を歌って批判された歌手が居たけれども、あれと同類の話ということになる。
VOCALOIDの楽曲は既に沢山あるから、批判されてもやむを得ない歌というのも沢山あるだろう。個別の歌に対する批判は、それぞれ甘んじて受けなくてはならないだろう。