chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

ニコ厨がコミケで嫌われる訳

 
先週のネタですが
ネタ元:
歌い手クラスタがコミケに現れたエイリアンな件を適当に

結論から先に言う。彼らがCDを売るのは、コミケに自分のスペースを確保する名目である。本当の頒布物は、「偶像化された自分自身」である。要は「アイドル」になりたくて来ているのだ。

これもあるとは思う。ただ本当にそれだけなら、今に始まった話でもなく、前からそういう人達はそれなりの数居たわけで、これだけではちょっと説得力に欠ける気もする。
 
この話題の反応から感じる雰囲気としては、「今までも新しいジャンルが勃興する度にこの手の問題は有ったし、しばらくすれば、それなりに皆マナーを守るようになって来たので、今回の件も、そのうち良くなるだろう」と楽観する人が多い印象はある。
 
私的には、今回の件に限らず、過去数回のコミケに於いて、いわゆる「ニコ厨」の印象が悪い状況が続いているのが気になっている。何か問題が起こるたびに「またニコ厨かよ」みたいな。ニコ厨を自認する私としては、残念なことです。
 
構造的な問題がありそうだな、と思うことの1つは、コミケが同人作家さん達の「新作発表の場」として特別な存在であるのに対して、ニコ動は24時間いつでも自分の作品を投稿することができる、という事。この違いから来る意識の差は、たぶん無視できない。ニコ厨の価値観からすれば、なぜ同人作家さんたちが、コミケで新作発表する事に、そこまでこだわるのか、という事がさっぱり理解出来ない。(正直、私には解らない)こだわる理由が解らないのだから、マナーを守りましょう、みたいな話も、表面的な話としてしか理解出来ない。「迷惑かけなきゃいいんだろ」的な浅い理解になってしまう。
 
壁の大手は解りますよ。目に見えて大きな売上がありますからね。しかし、島中のサークルの場合、うまく行けばそれなりの売上になるかもしれないけど、デッドストックを抱えて赤字になるリスクも同時に負う。デッドストックを抱えないように部数を減らした場合、完売しても大した収益にはならない訳で、それならニコ動でもPixivでも自分のブログにでも、Webにアップして、沢山の人に見てもらったほうが良いじゃん、と考えてしまう。それで、作品発表は主にWeb上で行い、コミケのようなイベントは、リアルな交流の場として重要視するようになる。
 
同人誌について、多少の事情が分かる人なら、この考えは問題があると気がつくと思う。同人誌というのは必ずしも万人向けに作られているわけではなく、不特定多数の人に読まれることをまったく望まない、という作品も多い。始発電車で来て何時間も待機列で並んだ末に買い求めに来るような、熱心なファンにだけ読んでもらえれば、それで満足という場合もある。あの過酷な待機列というのは、一種のフィルターとして機能している訳。読者の人数の大小が問題ではないのだ。もし仮に、その作品が不心得な人によって勝手にWebにアップされて大勢の人に読まれる事になってしまった場合、大バッシングを受けかねないネタもある。オープンなWeb上では、そういう作品は生き残ることができない。
 
 
将来、ニコ厨コミケで迷惑な存在にならないようにすることが出来るのか、というのも、そう簡単な話ではない気がする。なぜなら、ニコ動などの各種Webサービスは、基本「見たいものを見る」という行動パターンだから、たとえば「コミケに初参加するにあたっての注意事項」なんていう物を、そういうのを読んで欲しいターゲットの人達全員に見てもらう、などということは、ほぼ期待できない。問題を起こすような人ほど見てくれないのではないかというジレンマがある。
  
問題を起こす人に対する対処方法も、ニコ動とコミケでは全く違う。ニコ動でのいわゆる「荒らし」などの困った人は、システム的に排除するか、もしくは受け手側がブロックする。荒らしている本人は放置プレイ。しかしコミケではそういう訳には行かない。手間がかかっても、スタッフを呼んできて何らかの対応をお願いする、という形になる。では、普段ニコ動で荒らしをして放置されている人が、コミケに参加したらどうなるだろうか? ・・・「またニコ厨かよ」みたいな状況が生じてしまっても、不思議ではないだろう。
 
 
という訳で、私の足りないアタマで想像する限り、どう考えても、コミケニコ厨が嫌われ者であるという状況は、この先まだまだ続くだろうと悲観せざるをえなかったりする訳です。なんだか、ごめんなさい。

 
関連:
歌い手クラスタがコミケットを潰すのか --- Togetter
コミケのこと --- 社長。(r45°)のブログ
歌い手問題に関する、コミケット準備会関係者様のお話 --- Togetter