ここ数日盛り上がってる、評価経済ネタに便乗。
ネタ元:
「僕らは評価経済の高度成長期に入った」 週刊東洋経済インタビュー ノーカット版掲載!
http://blog.freeex.jp/archives/51322180.html
私が言いたいことはただ一つ、この記事でも、これをネタにしたエントリでも意外と語られてないんだが、人が何か行動を起こすときの、最も基本的なモチベーションの源泉というのは、
「好きな人の為に何かをする」
っていうことだと思う。ここに他人の評価ってあんまり関係ないよねってこと。改めて言うほどのことでもないんだが、この軸がぶれていると、何を言ってるんだか、何をやってるんだか、解らなくなってしまう。「資本主義」に対して、「愛主義」とでも呼ぶべきようなもの。
昔書いた関連エントリ:
づるづる考えてたら、「愛」に辿り着いた
「愛主義」って、要するに家庭のことじゃんね。
「好きな人の為に何かをする」っていう事にも、色々問題はある。
一番問題なのはアレだな。ストーカーみたいなやつ。頑張る方向を間違えちゃう人。でも、これはまだ救いようがあると思う。人は、失敗から学ぶことができるからね。
裏返しの状況として問題なのが、「好きな人が居ないから何もしない」っていう人。地味に深刻。
「好きな人の為に何かをする」に似た状況として、「好かれる為に何かをする」っていう事が行動指針になっている人も多いよな。俺はそういうのは好きじゃないが、処世術として、そういう生き方を選択せざるをえない状況は、本人の責任じゃないからな。 上の評価経済の話は、どっちかというとこっちに軸足を置いた話か。
お金というものを、もっと高機能なものにすべき、という話としてはアリだと思う。むしろ、こんなレガシーなものを、世界中の多くの人が何の疑いも持たずに使っている状況が信じられないぐらい。 ただしそれでも、人が人を好きになるとか、嫌いになるとか言うプリミティブな感情って、評価と切り離して考えることは難しいし、理屈じゃない部分が大きいと思うから、それを経済の仕組みに取り込むべきなのかというと、・・・評価経済って、要するにそういうことだと理解したのだが・・・んーーーー。歴史的にはむしろ逆で、積極的に切り離して考えることで、経済が発展してきたっていう側面もあったはずなんだよな。
纏まってないけど、とりあえず終わり。
関連:
・岡田斗司夫氏の議論がいろんな意味で面白い: やまもといちろうBLOG(ブログ)
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・そろそろ評価経済について一言いっておくか - 狐の王国