前提:
・誰しも、幸せを求める権利、幸せになる権利が有る。
・何を幸せと思うかは人それぞれ。
・幸せになれるかどうかは、基本的には自己責任。
これに関して、何か反論するとすれば、どういう反論がありうるだろうか。
・幸せを求める権利の無い人も居る→監獄の中の殺人犯とか?
・幸せは人それぞれとは言うけど、最低限の衣食住は必須。かつ、家族や友人も、普通は必要。
・幸せになれない原因が、自分以外の周囲環境にあるケースは多いのではないか。
うむ。では、「仕事をする」という行為は、何の役に立っているのだろうか。
・金銭収入と、それによる衣食住の確保
・人としての尊厳や社会性の確保、社会への貢献
・遊びや貯蓄にまわすお金の確保
ブラック企業であっても、この点は変わらない。
会社が利益を出し続けるという事自体が、なかなか大変なことではあるし、その為に多少の犠牲はやむをえない、という状況もあるだろう。組織の中でリーダーシップを執る人は、全体主義的な考え方を肯定できる人でなくては務まらない。
ただ、やっぱり、どういう状況であろうとも、「何のための利益なのか」っていう事は、よく考えないといけないと思う。本来は、「利益が出ている」≒「お客さんに支持されるサービスを提供している」≒「世の中を豊かにすることに役だっている」、という事だからこそ、利益が正当化される。一方、顧客だけでなく、従業員も同じ人間として、幸せになる権利がある。これを、どこかで履き違えて、利益の為なら幸せとか不幸とか、どうでもよいとでも言いたげな言説・行為が多すぎないか。
例えば、「「新入社員へうちの会社が求めていること」という資料がある。
http://blog.tinect.jp/?p=12516
これを読んで解る事は、この会社は、新入社員がこの先、幸せな人生を送れるかどうかなんてことには1mmも興味が無いという事だ。ここに書かれている事を100%こなした結果として、その人が幸せになれるかどうかなんてことは、全く会社とは関係の無い話なのである。ただただ、会社にとって都合の良い人材を、会社中心的に求めているだけなのだ。
そうだね、自分の幸せは、自己責任だね。
でもさぁ、毎日深夜まで残業して、休みの日はくたびれて寝て休んでるような状況で、自分の幸せは自己責任とか言われても、どうしろって言うんだよな。
こんなことを、上司が部下を叱りつけている場面を見かける度に思う。