chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

ボブ・ディランの映画

 
ボブ・ディランて、ぶっちゃけ名前ぐらいしか知らなくて、ノーベル賞ですったもんだあったのがニュースになってるのを見て、「へー、すごいひとなんだろうなー」ぐらいの認識だった。
 
で、映画館でボブ・ディランの映画とかやってたんで、何か勉強になるかも、と思って見てきた。
http://dylanmovie.jp/
 
観客数、最初から最後まで俺一人。貸し切り状態。
 
内容は、ボブディランの取り巻きだった人たちのインタビューと記録映像を再構成しただけの内容で、下手なTV番組よりも低予算な内容。本人への著作権料や肖像権料、記録映像の使用料などの支払いは、かなりの高額になっただろうと推測できるが、それ以外、この映画の企画、プロデュース、新たに撮影した映像とその出演者のギャラ、編集にかかった費用は、合計500万円もかかってないはずだ。いわゆる「映画」ではない。
 
それでもまぁ、映画館という空間で、貸し切り状態で、大画面と高音質でボブディランの歌を聞けたので、自分的には1800円の価値はあった。
 
色々な曲が流れたが、結局、全て、一切、知らない曲ばかりだった。これは驚いた。一曲ぐらい知ってる曲がありそうなもんだが、一曲も無かった。いや、俺の今までの人生で、世界的に有名なボブディランの名曲を、1度も1曲も聞いた事が無い、なんてことは無いはずなのだが、全く綺麗さっぱり記憶にないのだ。自分は英語の歌の歌詞を聞いても意味は解らないので、そういう事になるんだろうな。いかに興味の無い事を聞いてないか。自分でもびっくりだ。
 
映画の中で色々説明を聞くうちに、ボブディランの影響を強く受けているミュージシャンが日本にも大勢居て、そうとは知らずに、間接的には結構聴いてきたんだな、という事は解った。
 
たとえばこの曲の、こういう比喩表現は、ボブ・ディランぽい。作詞作曲のマーシーは、たぶん、ボブ・ディラン大好きに違いない。

 
ボブディランが若かった時代には、まだパンク・ロックってものがジャンルとして確立してなくて、フォークソングとロックンロールの融合、みたいなところにあったボブディランと、その後に生まれたパンク・ロックは、方向性こそ少々違うが、相性いいんだろうな。
 
ノーベル賞を一度断った理由も、なんとなく解った。1960年代とか70年代は、歌で、世の中の雰囲気を変え、政治を変え、世界を変えられる、と、若者が希望を持っていた時代だった。その結果、確かに良くなった一面もあった。ポリティカルコレクトネスとかいうやつだ。看護婦じゃなくて看護士と呼びましょう、とかな。しかし、一方では、世界から原爆は廃絶できていないし、戦争も無くなってないし、アメリカ国内でさえ貧富の差は大きい。結局、音楽で変えることができたのは、どうでもいいことばかりだった。そして庶民から夢が奪われた。そんな状況で、喜んでノーベル賞をもらってる場合じゃないってのは、まったく正常な判断だよな。