chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

そもそも経済の基礎を何も勉強してない訳だが

 
金利の話とか無視して、世の中を流通するお金の量の話
 
(1)1万円があるとする。
(2)それを銀行に預ける。
(3)銀行はそれを貸し出す。
(4)借りた人がお金を使う。
(5)それで儲けた人がまた貯金する。
(6) (3)〜(5)を1万回繰り返す。
(7)銀行には一億円の預金と、一億円の貸出残高が残る。
 
ここで、気がつくこと:
・「借金する人が存在する」ということが、話のキモ。「借金する人」がいない限り、いつまでたっても1万円は1万円のままだってこと。
 
・この話では、銀行の帳簿に一億円の預金と、一億円の貸出残高が有ったとしても、この話の中で実在するのは一枚の1万円札のみだということ。
 
・借金を続ける人が存在する限り、銀行の預金と貸出は増え続けるが、みんなが借金を返済するフェーズに入ると???
 
(8)一万円借金していたが、貯金ができたので、それを下ろして借金を返済した。
(9)一万人が(8)を実行
(10)銀行の預金残高と貸出残高はそれぞれ一億円減少。
(11)最終的には、元の1万円札一枚だけが残る。
 
で、今の日本がどのフェーズかというと、大局的に見れば(8)以降でしょ。団塊の世代が会社を退職し、住宅ローンを払い終え、会社の有利子負債も減少、人口も減少傾向だから住宅建設のペースも落ちて、住宅ローンの貸出も減る。そして経済は縮小傾向→デフレへ。
 
「経済が拡大することは善である」とするならば、「借金を返済することは必ずしも善ではない」という理屈になることがわかる。金利さえ払っていればOK。返済したら、返済した分だけ、国の経済が縮小してしまうのだから。
借金の返済が必要となるのは、預金した人がそれを引き出す時。とすると、預金を引き出すこともまた、国の経済が縮小してしまう原因の1つという訳。
 
まとめると、経済拡大史上主義の下では、
・借金は返済するな。金利さえ払っていればOK。
・貯金は引き出すな。金利だけ貰って満足しろ。
という理屈になるなー。
もし、これが一般常識として通用する時代が来たら、という事を想像したら、確かにちょっと楽しいかもしんない。今なんか金利めっちゃ低いから、数%の金利でお金を借りる事ができて、永遠に金利さえ払ってれば元本返済しなくて良いよ、って話なら、そりゃ確かに独立して何か事業を興すぐらい、出来そうな気がしてくる。

しかし、現実には会社を退職した団塊の世代は借金を返済して、貯金を引き出して消化するフェーズに入っているわけで、経済が縮小するのもやむなしかな、と。
 
で、代わりに政府が馬鹿みたいに借金しまくって辻褄あわせをしている訳だけれども、個人が借金するのはダメで政府なら無尽蔵にOKってのも、これまたおかしな話だよなー。
 
もし、皆が、だれも借金せずにひたすら貯金して、貯金したお金で家を建てる、という行動を取ったら、どういうことになるだろう。借金をする人が居ない訳だから、(1)の1万円は1万円のままだ。これで家を建てるためには、超デフレを進行させて、1万円で家が建つようにするしかない。んな馬鹿な。でも、他にやることが何もなくて、「暇なので家を立ててあげるよ」っていう大工がもし居れば、この話は成立してしまう。
 
「お金を貰うから仕事をする」「お金を貰えないから仕事をしない」という世の中だから、お金が無いこと、お金が動かないこと、経済が拡大しないことが問題になる。自分も含めて、「お金」と「仕事」がここまで直結しちゃってるということが、そもそも異常というか、宗教的というか、なんかおかしな観念にみんなが囚われちゃってるんじゃないかという気がしてくる。皆が「タダ働き」を厭わないなら、経済拡大とか縮小とか言う話は相対的に小さな問題になる。
 
1万円で家を建てろってのは極端としても、今までの日本が、額面以上の仕事をする人の、「タダ働き」の部分に支えられてた部分て、かなりあると思うんだけどなぁ。サービス残業とかさ。サービス残業をすれば、お金は動かなくても世の中は動いちゃうんだよね。
そんな訳で、デフレの問題ばかりことさら大きく取り上げて対処療法を云々する話って、やっぱりなんか実感とは合わないんだよなぁ。