chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

1998年が10年前の件について 続き 

 
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1074668.html
 
逆に考えてみよう。簡単にぱっと思いつく所で、日本人にとって最も長く感じた10年といえばいつだったか。
やっぱり筆頭は昭和15年から昭和25年の、いわゆる終戦を挟んだ10年間。1998年から2008年までの10年間とは比べ物にならないくらい長い印象を持つ。
それ以外だと、たとえば阪神淡路大震災の前後をはさんだ10年間とかは、被災した当事者にはとても長い10年間に感じるんじゃないだろうか。
共通点は「個人の力ではどうにもならない次元で世の中が大きく変わった」ということ、かな。
 
で、話を戻すと。
 
1998年から2008年がこれだけ短く感じられるというのは、上記の逆、すなわち、日本が平和だったことの証明じゃないかとも思える訳で、ありがたいことだと感謝すべきことなのかもしれない。しかしその平和の裏返しとして、日本の企業が海外の企業にガチンコ勝負を挑まなくなってしまった10年だったとも言えると思う。
マイクロソフトやGoogleの対抗馬になるようなソフトウェア企業は日本からはいつまでたっても出てくる気配すらない。DRAM開発競争では日本の名だたる半導体メーカーが早々に退散した。CPU開発競争やグラフィックチップの開発で海外勢力にガチンコで勝負を挑むような日本企業も無い。PS3に搭載したプロセッサは工場こそ日本のFabだが、中心になって設計を進めたのはアメリIBMの技術者である。
フラットディスプレイは頑張っている。カメラも頑張っている。プリンターも健闘している。目に見えるものには強いということか。
確かに、団塊の世代には抽象的な話が通じにくいような印象はあるなぁ。
「理解されないものは評価されない」というのは、しょうがないか、と思っているが、それが上から目線の「理解できないものには投資できない、融資できない」につながり、結果、日本の技術開発の現場は、わかりやすい落ち穂拾いのような目先の利益に追い回された10年だったのではないか。そして日本の技術者は目標を見失い、奴隷のように冷遇される時代になってしまった。
 
負けることが明らかな戦いを戦うべきだとは思わないが、「どうして負けるんだろう?」ということにもっと疑問を持って、その原因を排除するような努力は、どうにも不足しているんじゃないか。・・・どこかで聞いたような話だな。