chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

づるづる考えてたら、「愛」に辿り着いた

 
・以前、お金の量と世の中の富の量がアンバランスになっているのではないか、それが問題なんじゃないか、と考えた。
この考え方と、「お金は公権力の断片なんじゃないか」という考え方を組み合わせると、「公権力の量と世の中の富の量がアンバランスになってきている」という話になる。だから、公権力の及ばない範囲にある富については、お金も回っていかないということになるのではないか。例えば公権力の及ばない範囲=ネットの片隅にあるものには、お金なんて回ってくるはずが無い。
 
・物事には価値があって、その価値に対して値段が付く、という考え方との共存
まず、価値には2種類ある。個人的な価値と、複数の人間で共有出来る価値。個人的な価値は、取引の対象になりえないので、値段が付かない。いわゆるプライスレスってやつ。
複数の人間で共有できる価値があり、なおかつそれを取引する必要が生じたとき、そこに値段がつく。
このとき、「複数の人間で共有できる価値」と「公権力」はどのような関係にあるか。狭い意味での公権力(警察とか)は必ずしも関与していない。広義での公権力・・・人が集団になれば必ず生まれると考えられるもの・・・は、「複数の人間」が存在すれば、自ずと生まれてくる。「公」が存在しなければ値段は付かないのではないか?ということ。「公」が存在しない所でつく値段というのは、悪徳商法紙一重だ。
  
・付加価値は、公権力に近づくことで生まれる?
零細企業で作られた安い製品が、一流商社経由で買うと3倍ぐらいの値段になっちゃうとかいうアレ。差額は一流商社が持っていく。スーツ組はそれを「付加価値」とよぶ。零細企業と一流商社、どっちが公権力に近いかといえば一流商社だな。
とすると、天下りがもてはやされるのも腑に落ちる。天下りは付加価値の源泉なのかも。(そんな価値いらねー。
それからTVも。TVは立派な公権力。そこにCMを打つことは、公権力と仲良しになるための近道だった?。
 
・資本主義は権力主義2.0
くどいけど、「お金=公権力の断片」なのであれば、資本主義は権力主義でもあるということになる。実際、そうだよね。株主とか役員とかは、その会社において絶大なる権力を持つ。会社における資本金の大小が、なんでそんなに重要な意味を持つのか不思議だったけど、それが権力の大きさを示すのだとするなら納得だ。ただし、これがいわゆる古典的な意味での権力と大きく異なるのは、古典的な権力が数値化出来なかったのに対して、資本主義の資本は数値化することができ、数学を応用して賢く運営できるということだ。そして金銭的に破綻すれば、それがイコール企業の破綻=権力の喪失と解釈される。資本主義におけるお金という権力は、数字によって管理され、テストされているという事。これがちゃんと世の中全体で機能しているというのは凄い。キモだね。
 
・「ベーシックインカム」と、「お金という公権力の断片」
一連のベーシックインカム議論の中では、お金と権力は全く別のもの、という前提で議論されているように見える。でも、色々考えるに、そう考えてしまうことが、嘘くさい結論を招いてしまう原因なんじゃないかという気がする。
「お金とは公権力の断片」と仮定して、その前提でベーシックインカム議論を仕切りなおしたら、全然別の顔が見えてくる。あらゆる人に所得保障しましょう、という形のベーシックインカムは、あらゆる人に一定の公権力を分割して授けましょう、ということと同義だということになる。なぜ「分割された一定量の公権力」が必要になるかといえば、それは「生きる権利」を守るためである、となる。
 
「権利」を守るための「権力」が必要。だからそれをくれ、という話。とってもシンプル。腑に落ちる。
 
この「権利」を守るための「権力」は、必ずしもお金という形でなくともよいという点がポイント。以前、田舎のベーシックインカムは天の恵みだ、という話を書いたけれども、例えば庭の柿の木、「この柿の木は自分の物で、世話をしてなくても、そこに成った実は俺の物だ」ということを主張し、皆に認められるためには、やっぱり何らかの公権力のお世話にならざるをえない。その土地の所有権とかの話を遡れば、お役所への登記などの問題になるのだから。
と考えると、「ベーシックインカム」と「公権力」は、どうあがいても切り離せないような気がしてきた。もしそれが真だとすると、「公権力に逆らう奴は、権利が奪われ社会的に抹殺されても当然」という、あんまり有り難くない結論が導かれてしまう。・・・それって、現状と大して変わらないじゃんね。
参考: ベーシックインカムは細部に神宿る
 
・なぜ売春はダメなのか
さんざんクドイが、「お金=公権力の断片」なのであれば、「お金でセックスする」、という事は、「権力でセックスする」というのと同じことだ、となる。で、それは権力の使い方として間違ってるぞ、と言っているわけだな。ベタな言い方をするなら、「セックスに必要なのは、権力じゃなくて愛でしょ」となる。ここで、「権力」と対立するものとして「愛」ってやつが出てきた訳だ。「愛はお金じゃ買えないぜ」とかいうやつwww。
言葉にすると何だけど、でも、この価値観は現在でもそれなりに広く支持されていると思いたい。これは重要な鍵だね。「愛」には、お金や権力を牽制できるだけの力があるって事だからね。
 
・日本には、「愛」が足りない?www
なんていうか、こういう言葉で書くとダサダサなんだけど、言わんとすることは、まず自殺の問題。・・・愛が足りない。少子化の問題。これも。孤独死の問題。これもそうだ。
現代日本の社会問題は、お金の不足というよりは、愛情のようなものの不足が引き起こしている、と言える側面は確かにあると思う。お金は経済理論の発展とともに進歩してきたが、経済理論の恩恵を受けられなかった「愛」は、時代に置いてけぼりを食ってしまっているんだな。経済発展によって、「計量できるもの」は進歩したが、その弊害として、「軽量できないもの」がないがしろにされるようになったという負の側面もある、ということを、もっと意識する必要があるね。
 
・「愛」を数値化できれば、「お金」に対抗できる存在になりうるか!?
「愛」には、お金や権力を牽制できるだけの力があるとしても、現在の我々は、それを計量して数値化する術が無い。それを計量するアイデアというのも無い。
うーん、なんだろ。例えばキスの回数を単位にして、これは10回のキスに相当する愛だから10キス、とか?(うわ有り得ねぇ
しょうがないので、そこをすっ飛ばして、その次のフェーズを考えてみる。「愛の断片」が、お金のように流通するという話? 資本主義の代わりに、資本じゃないぜ愛だぜ!っつって、「愛主義」とかwww。お金で売春はダメだけど、「愛の断片」での売春はOKとか?www うわ、なんか想像出来ないけど、なかなか狂った世界だな。・・・どこで間違ったかな?。
 
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その他のネタ
・なぜファッションは儲かるか
・ハッピープロジェクト http://happy-project.appspot.com/
地域通貨


エンデの遺言。ずいぶん昔の番組らしいが、初めて見た。
 
つづき
「愛主義」って、要するに家庭のことじゃんね。
http://d.hatena.ne.jp/chintaro3/20100417/1271510949