chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

同人作品の評論が野暮な理由

 
C80で、今回もコスROMを大量Getしてきたので、それの鑑賞記録を書くかどうかという話が事の始まり。
 
コスROMが今私の中ではマイブーム(笑)なんですよ。何がそんなに面白いかというと。
そもそも女の子の写真集的な物ということで昔に遡ると、自分の場合1980年代の「Momoco」とか「すっぴん」とかから始まって、その後のお菓子系グラビア雑誌とか、一番多いときは1ヶ月に5冊以上のエロ雑誌を定期購読してた時もあったし、写真集とかイメージビデオとかもかなり買ってたし、アダルトビデオもピンからきりまで色々見たし、彼女つくる暇も無いほどその手の商品を消費してきた方なんですが、最近はもう、なんかちょっと、飽きてきてたんですよ。だってマンネリじゃないですか。グラビア雑誌も写真集もイメージビデオもアダルトビデオも、何かその辺、全部マンネリ。つまらん。
 
そういう自分がコスROMを見ると、なんかとても新鮮にみえた。エロ雑誌やエロビデオの変な伝統に毒されてなくて、女性視点でこだわって制作されてる物なんかは特に。根本的に出来が違うのだよ、商売として利益を出すことだけが目的のエロ雑誌やエロビデオとは。
 
とはいえ、大半は素人の作品ですから(一部にはプロが趣味で作ったようなものもありますが)、全てが完璧という訳にはなかなかいかない。文句のつけようがないほど完璧な作品というのは滅多に無く、「あー、もうちょっとこうすれば、もっと良くなるのに、惜しいな」的な事を考えてしまう。
 
でも、それをブログに書いたりだとか、あるいは本人のブログにコメントしたりレビューしたりすべき事なのかというと、直感的にそれってすごく野暮な事に思える。なぜ野暮なのか。
 
1つには、それぞれの作品を作った人達は、たぶん、それぞれBestを尽くしてその作品を作り上げている。本人がアドバイスを期待している場合以外、望まれもしない論評をされたところで、本人にはそれ以上はどうしようもない場合が多いと思われ、下手な論評は本人のモチベーションを下げるデメリットの方が大きいのではないか。
 
仮に、そのコスROM制作者さんに改善意欲があり、手直しすることが可能だったとして、それが本当の意味でいい方向に行くかというと、それもかなりハードルの高い話。下手にアドバイスをきいたところで、凡庸なプロの作品みたいになってしまうだけかもしれない。そもそも、テクニカル的には完璧なはずのプロの作品がつまらん、飽きた、という話からここに来ているわけだからね。
 
プロの仕事というのは、ある程度「普遍的な価値」というものを意識せざるをえない。大量生産・大量消費を前提としたプロの場合は特にそう。客観性ってやつですか。それに対して、同人作品の面白さの理由は何かというと、「普遍的な価値なんていうものを重視しない、求めない」「個人的な価値観に従って行動する」っていう事の積み重ねから来る物だろうと思うのね。作り手と買い手がそれぞれ満足したならば、それでAll Right. 第三者にとやかく言われる筋合いは無い。 
 
そして、「同人」というジャンルがこれだけ巨大化するに至って、今どういう状況なのかというと、「普遍的な価値を重視しない・求めない」という「態度には普遍的な価値があるかもしれない」。
直球ストレートに「普遍的価値」なんてものを追求するのは、なんかもうダサいし、そういう態度を助長するような論評は、もう野暮だって事。私の中ではね。
 
蛇足。
最近炎上した「現代アート」の話題なんかも、何が野暮ったく見えるのかといえば、「俺様の作品には歴史的価値があるのだ!」的なことを言いたがる件。美術史における歴史的価値、という名の「普遍的価値」にこだわるのは結構なんだが、世間一般の人が誰もその価値を認めない作品の「普遍的価値」って、何だそれ、って話。「普遍的な価値がある」と思い込んでいるのが作り手と買い手だけで、その閉じた世界で満足しちゃってるのだったら、実はそれって同人作品と五十歩百歩じゃんね。そんな状況で、現代アートより同人作品の方がレベルが低いかのように言われるのは、全く納得いかない。