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農業再生と生産性向上 --- nando ブログ
http://nando.seesaa.net/article/231499340.html
では、生産性の向上は、何を意味するか? 次の3点だ。
・ コストの低下
・ 生産量の増加
・ 就業者の減少
ロジカルにとても良く纏められていると思う。厳密に言えば、味や見た目などの品質も生産性の評価尺度に含めるべきと思うが、大筋には影響なかろう。
気になったのは、この話を一般化しようとしたときに、「農作物の価格」でもって生産性の良し悪しや国際競争力を語ろうとする輩が居ることだ。このエントリーでは単純に「生産量の増加」とされているが、ここを安易に「生産金額の増加」に置き換えると、おかしなことが起こる、という事に注目してみてほしい。
工業生産であれば、生産性と利益率は概ね比例する。生産性が良ければ儲かるし、生産性が低ければ儲からない。農業の場合はどうか。農作物は日持ちしないものも多く、天候などにより生産量のコントロールも難しいので、農産物の価格はその時々の需給バランスで大きく変動する。
ここで、「天候に恵まれて、適正な需給量に対して一割生産量が増えた場合、供給過剰になって1割価格が下がっても、収入は一緒なので問題ないんじゃね?」という意見を目にすることがある。が、これは農作物の価格変動の実態を知らない人の話である。
1割の生産過剰の結果が1割の価格下落で済む、というケースは、実際には稀である。1割供給過剰になっただけで、取引価格は5割も下がってしまったという話は珍しくない。この場合、生産量が増えすぎたために、農家の収入はむしろ減ってしまうのだ。逆に1割供給不足になったとしよう。作物にもよるのだけれど、それが八百屋や外食産業で必要不可欠な重要な作物だった場合、1割の供給不足で5割も値段が上がってしまう、と言う事も、ままある話なのだ。ここで注意してほしいのは、この価格高騰は農家がコントロールしている訳ではないという事。農作物を買い付けする人どうしの競り合いにより価格が高騰してしまうのだ。
つまり、農業をする人1人あたりの生産性を金額で測ってしまうと、農産物の生産を増やせば増やすほど収入が減少し、逆に生産を減らせば減らすほど価格が釣り上がって収入が増える、という、おかしな話になりうる。日本の農業をこのまま放置しておくと、後継者のない高齢の農家がやがて廃業して農業従事者数が減少し、農作物の生産量も減少に転じる一方で、生鮮食料品などの価格は上昇し、農家1人あたりの生産金額は上昇に向かうだろう。しかし、それが目指すべき方向であるはずはない。農業の生産性を金額で測るのは、筋が悪い。農業の生産性を金額で推し量ろうとする話には、注意する必要がある。
次に、国際競争力という観点から農業の生産性を考えてみる。「日本の農業の生産性を上げよう」という話は、そもそも「外国との競争力がない」という話から来ている。比較対象としてよく挙がるのは、アメリカやオーストラリアの大規模農業だ。
アメリカの大規模農業、あれだけ広大な土地で、巨大な農業機械や航空機などをつかって農業をするとなれば、さぞかし競争力があるのだろう・・・と思いきや、実は補助金漬けの所も少なくないのだという。なぜかというと、発展途上国・後進国から輸入される安い農作物との価格競争が非常に厳しいからだ。ということは、農産物の国際競争力というのは、実はアメリカよりも発展途上国・後進国の方が上という事になる。
・・・ということは、農産物の国際競争力を付けたければ、発展途上国・後進国のようになればいい・・・経済発展をやめて発展途上国に逆戻りすれば円安になって農業の国際競争力が付くよ! ・・・なんていう、おかしな話になってしまう。ふざけるな。
先進国の農産物の国際競争力が低いのは、工業製品の輸出等のために相対的に通貨が値上がりしてしまった為だ。この為替の問題を、農業の自助努力でなんとかしろ、というのも筋の悪い話なのだ。
この場合、日本が取れる対策は、発展途上国・後進国の経済成長を後押しするような支援をするということだろう。すべての発展途上国・後進国が十分に発展して、日本と同じ程度の給与レベル、物価水準になれば、それらの国の農作物の価格も一緒に値上がりし、「日本の農業の国際競争力が低すぎる」などという話は、今のままでもかなり解消されるはずだ。
どうも先進国の人々というのは、「発展途上国・後進国が発展して自分たちと同じ水準になろうとする」という事を、必ずしも歓迎してないし、むしろ警戒しているようにさえ見える。たしかに、今まで不当に安い値段で働かせたり買い付けたりしていた物に対して、先進国並みの本来の金額を払わなくてはならなくなった場合、相対的には先進国の購買力が昔より下がる事になるだろう。 それでも、世界の経済水準が各国の経済発展により均一化していく、という流れ自体は、我々が目指すべき方向であるべきだと思う。この流れに反して、今のような不平等な国際関係が、いつまでも続くかのような話にも、注意しなくてはならない。