chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

もし、著作権が不動産のように扱われたら

 
著作権の期限切れまでの期間を延長するか否かっていう話題の派生。
 
逆の発想で、「著作権は永遠に切れない。永遠に誰かが所有権を主張できる」というものになったとしたら、どういうデメリットとメリットがあるだろう。
 
解りやすい例だと、ミッキーマウス。これが現行ルール通りに、将来全て正式に著作権切れになって、誰でも自由にミッキーマウスのキャラクターを利用できるとなれば、その知名度を利用した模造品的なキャラクターグッズが安く大量に出回る事になるだろう。しかし、それと引き換えに、ミッキーマウスが持つイメージの悪化は否めないものとなるだろう。
消費者の立場としては、安価な模造品を手に出来るメリットと引き換えに、そのイメージダウンのせいで、無形の価値を失う事になる。はたして現代、消費者にとってより重要なのはどちらなんだろう?
 
逆に考えてみよう。著作権が永遠に有効なものであったなら、上記のような問題は起きない。消費者はいつまでも少々割高なミッキーマウスグッズを買わなくてはならない半面、そのブランドイメージや世界観は保ち続ける事ができるだろう。
 
永遠に有効だとした場合、著作者の死後、それがどのような形で相続されるのかということが問題になる。現在、「著作権」には印税収入をベースとした課税しか無く、著作権そのものに対する相続税は基本的には発生しない。著作権自体が売買の対象になるものと考えられていないので、著作権の売買を想定した評価額の設定や課税はなされていないのだ。
 
ならば、著作権を売買可能な権利として扱い、著作権自体の評価額を設定し、印税収入の有無に関係なく、相応の相続税を払ってもらって、著作権を有効にし続ける、という選択肢があっても良いのではないだろうか。その方が財政的にも有り難い。相続税を払う意思が無い人には、相続放棄してもらう。相続放棄された場合、その著作物は国有財産≒パブリックドメインになる。このほうが合理的じゃね?
 
今のままの制度をずっと継続して、将来・・・200年後ぐらい・・・に、現在ある著作物を全てパブリックドメインにするということが、社会的、経済的な観点から見て最も合理性のあるベストな選択肢なんだろうか。・・・それはちょっと違うんじゃないか。
 
これは、そもそもお金とは何なんだ、とか、お金はこの世の正義なのか悪なのか、みたいな、そもそも論に立ち返らざるを得ないレベルの話だと思うんだが、先ず言える事は、現在の先進国の経済というのは、経済学の合理性の恩恵に因る部分というのが相当あるだろうと言う事だ。これは間違いない。
 
将来、今のままの制度が継続され、膨大な量の著作物が全てパブリックドメインになってしまったら、そこに経済学的な合理性を適用する事は困難になる。これは結果的に、大きな社会的損失をもたらすのではないだろうか。
 
例えば、「膨大な過去作品の中から、今の時代の役に立つ作品を発掘して紹介する」というようなことをしようとした場合、ベースになる作品がパブリックドメインだと、その成果から報酬を得る事もまた難しくなってしまい、ビジネスの可能性が狭まってしまう。もし、その作品の正当な著作権が生きていたなら、著作権者と協力して積極的なビジネス展開を起こす事がむしろ容易になるのではないだろうか? それは社会全体にとって、メリットの方が多いのではないだろうか? もしそうでないと言うなら、それは現代社会における経済学の恩恵を否定するに等しい話なのではないだろうか?
 
もしこの世からお金が無くなって、それでもなお人々が勤勉に働き、節度のある消費を心がけることが出来るなら、もちろんその方が理想かもしれない。しかし残念ながら人間はそれほど勤勉でも無ければ節度も足りない。だからお金という物でコントロールする事で経済が発展してきたのだ。その事実を無視して、将来全ての著作権パブリックドメインになる事が社会全体にとってベストの選択であると、本当に言えるだろうか?
 
著作権が永遠に消滅せず、取引の対象となり、流通可能なものになれば、たとえば「著作権を担保にお金を借りる」ということも、今よりずいぶん容易になる。これは経済にとって非常に重要なことだ。ある意味、現在の経済の停滞の原因の1つは、知的財産を担保にお金を借りる事が難しいという事にも起因しているはずだ。
 
たとえばそれが著作物ではなく、賃貸マンションのような有形のものであったなら、それを担保にお金を借りる事が出来る。その借りたお金でまた新たに賃貸マンションを建て、またそれを担保に・・・とぐるぐるお金を回しながら次々とマンションを建てていく事ができる。ところが、担保に出来ない知的財産は、いくらそこに投資しても不動産の様なループをぐるぐる回して自己増殖させていくことが極めて困難なのである。そのために、才能のある人の所に潤沢な資金が回って行かず、某課金ゲームみたいな集金システムばかりが持て囃されるとしたら、これが社会的損失でなくてなんだと言うのだ。
  
著作権のような知的財産を担保にできるようにするためには、不動産でいうところの登記のような事務手続きは必要になるだろう。そこで評価額が決められ、それに応じた資産税も発生するということにすればいい。著作権における「墾田永年私財の法」のようなものである。そうすれば、不動産と同じように売買することもでき、それを買った人はそれを利用して商売する事も出来るし、それを担保にして事業の運転資金を得る事も出来る。
 
これをやっていかないと、世の中は1次産業、2次産業に携わる人がどんどん減って3次産業の人が増えているのに、3次産業から担保に出来る財産が生まれず消費するだけ、ということでは、そりゃ経済回らないよ。見えてない価値に値段を付けて、経済学の恩恵を受けられるようなシステムにしていくことが、これからの先進国には必要に違いない。