「文化」って何なんだ、っていうことを考えた時に、「集団で夢を共有できているかどうか」っていうのは、けっこうキモだなと思った。
個人主義が重要視されるようになって、同じ会社で同じ仕事をしているからといって、必ずしも「同じ夢」を共有しているとは言えなくなっている。そういう環境ってのは、「金儲けの仕組み」でしかないから、お金が儲からなくなった瞬間に分解してしまう。
そんなことを、オーディオメーカーの倒産の話を見ていて思った。
オーディオメーカーってのは、音楽を再生する機械を作っている訳だから、音楽文化を支えている存在だったはずなんだけれども、じゃぁ実際のところ、オーディオメーカーで働く人たちが日常的にそれを使っていたかと言うと、そんなことはなくて、ほとんどの人にとって「飾りもの」でしかなかったという実態があった。そんな業界が長続きするはずは無いと30年前から思っていたよ。
例外はYAMAHAで、・・・まぁもっとも、YAMAHAだって昨今オーディオ機器を作っている部門は厳しい状況だろうけれども、YAMAHAは楽器も作っていて、特にクラシック音楽の楽器は何十年も、ほとんどモデルチェンジされずに生産されているものが多い。なぜモデルチェンジしないかといえば、それが音楽文化を支えているからであり、それはつまり、楽器メーカーと楽器ユーザーが同じ夢を見ることができているという幸福な関係にあるからだろうと思う。
オーディオ機器も、YAMAHAの売れ筋は、もう長いことモデルチェンジせず定番となっているような商品だ。なぜいたずらにモデルチェンジしないで居られるかというと、「メーカーとユーザーが同じ夢を見ることができている」っていうことがキモなんだろうと思うんだ。
それが文化をささえている・・・というか、もしかすると、それこそが「文化そのもの」なんじゃないかと思ったんだ。
たとえばピコ手の同人誌サークルっていうのがある。収支は赤字でもずっと続ける人がたくさん居て、そういう人たちに同人誌の文化は支えられている。そういうピコ手サークルがなぜ続けられるかといえば、「夢を共有する」ってことがひとつのキモなんだろうと思うんだ。