すげーいまさらだけど、やっぱ、「技術」っていうものも、そこに「気持ち」を込めなければ、価値なんて生まれないんだなと言う事を、改めて思う。
「気持ちのこもっていない技術」の中に、価値のあるもの、ってあるのだろうか。色々考えたが、これがなかなか浮かばない。結局、技術というのもサービズ業の一種のようなもので、サービス業であるならば、そこに何の気持もこもっていないのに、価値がある物になるなんて言う事は、あり得ないのかもしれない。
日本の製造業に元気が無いのは、「技術に気持ちを込める」っていうことを軽視し過ぎなせいなんじゃないかと思うんだ。単に技術が優れていればいい訳じゃない。他社との相対的な比較ならば、技術的な優劣だけが問題になり気持ちは関係ない、というように一見見えるかもしれない。が、本質的な価値というのを考えた時に、そこにどういう気持ちが込められているのかという事が、決定的に重要な気がする。最近の国産商品の失敗商品を見て思うのは、そこに魂がこもってないってことなんだよ。
人に何かを伝える時、エンジニアリング的に「事実だけを淡々と伝える」ということが科学的に重要視される場面も多いが、多くの人にとっては、それよりもまず、「気持ちが伝わる」という事の方が重要だろうと思う。気持ちが伝わらない説明は、眠い。気持ち抜きで、「事実だけ」で伝わるのは、前提条件として「気持ちが共有できている」と言う事が必要だ。それ抜きで事実だけを伝えようとしても、だいたいねじ曲がって伝わる。
今やっている事、やろうとしている事に対して、どんな気持ちを込めようとしているのか、という事に、もっと自覚的にならないといけないと思った。