chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

お金が回らない問題

 
「生産性を高めよう!」的な記事が、どうにも的外れに見えてな。
 
2次産業についていえば、ほとんどのメーカーは生産余力がある。需要不足の状態であるところの方が多い。 需要に生産が追い付いていない工場なら、生産性の改善に意味があるが、生産力が余っている工場で生産性を高めた所で、生産力の余りがますます増えるだけなので意味がない。
 
3次産業はどうか。余力がないのは大病院とかホテルとか、都心部保育所とか、介護施設とか、人手をかける事でしか成り立たない業種。多くの小売りや飲食店、商社には、相当の余力がある。
 
1次産業は、いわゆる経済アナリストが言う意味での「生産性の向上」ということなら、今後まだまだ生産性は向上するだろう。なぜなら就労者がどんどん減り、生産も減るがそれに伴って白菜のように価格が高騰するケースが増えるからだ。労働時間単位あたりの収益性は向上する。もっとも、今までが低すぎたので、改善されたといっても2次産業や3次産業に大きく劣る訳だが。
 
で、何が言いたいかというと、世の中に生産余力もあって、銀行にお金も有るのに、個人にお金がなくて、学生ローンや子育て資金で悩まなくてはならないのは、なぜなのかという事なんだよ。何か、制度設計に失敗してないかこれ。
 
制度設計の問題を、生産性の改善で補おうとするのは、筋が悪いと思うんだよな。
 
例えば。工場で「改善提案活動」とかやって、生産性を高めてみても、それによって労働者の給料が上がらないなら、消費は増えない。(500円や1000円の小遣い程度の報奨金で消費が増えたとか言うんじゃねーぞ)これが一部の企業だけの問題ではなく、日本中の企業がそうなってる訳。「改善提案活動」が給与の上昇を伴わないなら、それは消費の増大をもたらさず、めぐりめぐって無駄な生産余力を増やすだけの結果にしかならないのではないか。これは制度設計の問題だ。
 
生産性と消費性は長期的には釣り合う。消費が伴わない生産に意味は無い。消費のためにはお金が必要なので、生産したなら適正な報酬がなくてはならない。生産に報酬が無かったならば、消費する事が困難になるので、最終的には生産そのものに意味が無くなってしまう。