chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

映画「漁港の肉子ちゃん」

映画「漁港の肉子ちゃん」を見てきた。
きっかけはこちらの記事
adenoi-today.hatenablog.com
 
以前、映画を見た時に、最初にこの映画のCMが流れているのも見ていたので、「日本の漁港を舞台にする」という事に興味がわいた映画ではあった。それで、こういう風に推している人もいるということで、見に行く気になったのだ。
 
見に行く前から。「あれ?」という嫌な予感はあった。明石家サンマというビッグネームのプロデュースでありながらあまりにも配給が弱気に見えたからだ。
 
結論からいうと、嫌な予感は当たった。この映画は、「家がボウボウと燃えている隣で、火災訓練をやってしまった映画」だった。
orangestar.hatenadiary.jp
 
まず、「肉子ちゃん」て何やねんて話なんだが、これは「菊子」っていう主人公のあだ名らしい。なんだが、なんでそんな悪意のこもったあだ名を映画の表題にする必要があるのよこの令和の時代に。「漁港のきく子ちゃん」でええやんか。わざわざ炎上をねらった炎上芸かよ。
 
で、冒頭5分ほど、この菊子ちゃんがいままでいかに悪い男に騙され辛い人生を送ってきたかをダイジェストで説明するのだが、この演出が単純にキモすぎてみてられないことと、まぁそれは演出者が悪趣味だったってことで話の本筋には関係ないとしても、世の中には真面目に地味に仕事してる男だってたくさん居るのに、そういう地味な男には目もくれず、派手にちゃらちゃら遊んでいる男についていって辛い思いしましたってそれ自業自得じゃんよ。そういう話に同情出来る人もいるんだろうけど、少なくとも俺には1mmも同情の余地のない話だったわ。そんな女が30過ぎて苦労してますって、そんな赤の他人の話、知るかそんなの!!!
 
本編が始まってからも酷かった。百歩譲ってこの話が、昭和の時代の話として描かれたのだったなら最後まで見たかもしれん。だけど、この映画には当たり前のように紫色のランドセルやダンシングフラワーがでてくるのよ。ド田舎なのに。紫色のランドセルやダンシングフラワーは1990年代にはあったと思うが、ド田舎の何でもない情景描写に何の断りも無く描いて違和感のない時代とするなら、2000年代以降ということじゃないと辻褄が合わないだろう。日本のド田舎の漁港が、2000年代に既にどんだけ過疎が進んでヤバいことになってたかってことが見えて無さすぎるんだよな。2010年代とか今の話とするならもっとありえない。
 
そのことに、明石家さんまも、とりまきのひとたちも、誰も気が付いてないか、もしくは気が付いていても指摘できなかった。
こいつらにとっての日本の田舎のイメージは、昭和で止まっているんだろう。今の日本のド田舎の漁港の実態には何の興味も無いという、東京や大阪の人たちの本音が透けて見えてしまっている。
 
私に言わせれば、正しい現状認識ができない、認知症集団である。
「家がボウボウと燃えている隣で、火災訓練をやってしまった映画」である。
 
そりゃそれなりの人生経験のある明石家さんまがほれ込む話なんだから、良い話なんだろうと思うよ。でもさ、認知症の老人がどんなに感動話してたってさ、「まずはその認知症をどうにかしろよ」ってどん引きするだけじゃない?少なくとも俺はそうだった。
田舎に興味が無いんなら、正直に東京か大阪の下町を舞台にすればよかったんだよ。
そんな話をそのまま田舎の漁港に持ってきて、通用する訳ないじゃん。
 
そんな状況で、話の続きを見てもますます嫌な気分になる自分しか想像できなくなったので、20分で見切りをつけて映画館を出た。
 
こんな嫌な気分になった映画は久しぶりだ。クソったれ。
 
 
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