chintaro3の日記 

基本、チラ裏です。書いておくと頭の中が整理できますゆえ。

むかしのこと

自分にとっては最悪な思い出なので、あまり人に言ったことはないことなんだけど、
 
自分が小6の時の夏休みに、10歳年上の姉(2人の姉のうちの2番目の姉)が急に死んだんだわ。自分が12歳。姉は22歳。

姉は海で泳いでいて、心臓が止まって、そのまま死んでしまった。今だったら、AEDで電気ショックを与えれば生き返ってたはず、っていうレベルの海の事故だったが、当時そんなものは病院にしかなかった。
 
大学4年の夏休みで、就職も決まって、仲の良い女友達4人で田舎の海辺の民宿に遊びに行っていたときの事故だった。
4人の中では、姉が一番泳ぎがうまかったらしいが、それが裏目に出た。遠くまで泳いで行って、急に海水温が下がったところで心臓が止まったんじゃないかとも言われた。前の晩に飲んだ酒が残っていたことも影響していた可能性もある。酒を飲んで海で泳いで心臓が止まってそのまま死ぬ、という事故は、AEDが普及するまではありがちな海の事故だったのだ。
 
辺鄙な田舎の民宿だったせいで、救急車が来るまでに30分かかり、病院に着いたのは1時間後。病院で一応電気ショックを与えてみたらしいが、当然効果はなく、病院では死亡を確認するだけになってしまった。
 
その連絡の第1報の電話の受話器を取ったのが自分だった。親に電話を代わり、それからもう大騒ぎで。
今でも、電話が鳴るたびに、いつもあの時のことがフラッシュバックする。今でも、電話が大嫌いだ。携帯電話を持ち歩かない(持ち歩けない)理由でもある。
 
一番困ったのは、母親がうつ病のようになってしまい、寝こみがちになってしまったこと。母親が暗い顔をしていると、家の中が常に暗くなってしまう。もちろん自分にとっても父親にとってもつらい出来事だったとは思うが、母親にとっての子供の死、というのは、それとは別格の悲しみなんだろうなということを、なんとなく理解した。
 
そんな状態が3年ぐらい続いた後、母をキリスト教の教会に誘ってくれるおばさんたちが居て、教会に通うようになり、少し持ち直した。仏教では「くうそくぜーしきしきそくぜーくう」なんて虚無を唱えるだけだったのが、キリスト教では「死んでも蘇ります!」なんて大真面目に牧師が説いてくれるおかげで、母は気分的にずいぶん救われたようだ。あぁ、昔、ヨーロッパでキリスト教が広まった理由もそんなことだったのかなと思う。
 
昔は乳幼児の死亡率がとても高かった。乳幼児のお母さんたちというのはたいてい若い女性なわけで、それで町じゅうの若い女性が子供の死を悲しんでみんなうつ病になってしまったら、コミュニティ全体にとっての大問題だ。そこで「死んでも蘇ります!」と説いてくれる神父や牧師というのは、キリスト教信者でない人にとっては「はいはい、嘘も方便てやつですね」と見えるわけだが、実際問題、それで「そうなのか、蘇るのか、じゃぁそんなに悲しまなくてもいいじゃん」と気を持ち直して、それで町全体の若いお母さんたちが明るくなり、つられて町全体の雰囲気が明るくなるのであれば、それはそれで大したライフハックだったんだな。
 
で、まぁ子供の時にそんな親を見ながら育ったせいで、とりあえず自分に死ぬほどつらいことがあっても、親が死ぬまでは死なずに頑張って生きようとは思った。
「死んだ方がましじゃないか」と思うような出来事が無かったわけじゃないが、いまどき、飯食って寝て、病気になったら病院へ行く、という程度のことさえできれば、とりあえず生きれてしまう世の中なのだ。
 
めちゃめちゃ落ち込んで、布団に入りながら「このまま永眠できればいいのに」と思ったことはある。そのとき、試しに息を止めてみた。息を吐けるだけ吐いてから、息を止める。苦しくなっても、がまんして止める。死ぬまで静かに、ただ息を止めていたら、死ねるんじゃないかと思ったんだ。だけど、苦しさが臨界突破したとき、それまで想像もしなかったような、とてつもない恐怖が全身を襲ってきた。
 
その恐怖に耐えられず、息をしてしまった。
  
「あぁ、死ぬって怖いことなんだな」と思った。
 
「こんな怖い思いをするぐらいなら、生きてた方がいいや」とも。
 
首吊り自殺ってあるでしょう。あれ、自分の体験談を踏まえて言うなら、首つり自殺した人は死ぬ直前、みんな後悔してると思う。首つり自殺なんかするんじゃなかったと。こんな怖い思いをするなら生きてた方がましだったと。人間、そういう風にできてるんだ。
 
だから、なんで今、自分が生きているのかと問われれば、「死ぬのが怖いから」というのは理由の1つではある。でも、それだけじゃ悲しいから、いろいろ考えた。子供がいる人なら、子供を立派に育て上げるために生きるのかもしれない。大切な恋人がいる人なら、恋人のために生きるのかもしれない。自分はどっちもない訳だけど、まぁそれならば、「自分が好きな人(人達)のために生きる」ってことで良いじゃないかと思い至った。別に両思いである必要はないじゃんと。
 
そう割り切れるようになってからは、メンタル的にずいぶん落ち着いたし、生きるのがラクになったと思う。収入が多いとか少ないとか、子供のころ思い描いていたような理想的な家族を持てない事、理想的な父親に成れない事で悩まなくなった。
 
どうなんだろう、自分は自分なりにいろいろ考えて、これがベストだと思っているけれど、根本的に違う考え方で生きている人も多いんだろうとは思うよ。でも、自分に他人の真似はできないから、自分がラクに生きられる生き方は、自分で探すしかない。